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レ・ミゼラブル2021 帝劇公演(6/19.20ソワレ)見て来ました

なんと、気が付いたら見に行ってから記事書くまでに1か月経っちゃってる。

表題の通り、レミゼ初参戦してきました。私が相葉さんを推し始めたのが19年TdVだったので、ようやくレミゼを、相葉アンジョを見られたぞ……!の気持ちです。感無量です。

というわ私の、今回はレミゼの感想を。相葉アンジョの感想を沢山書きたいところですが、初めてのレミゼということで何よりもまず『レミゼ』の持つ作品としてのパワーにしっかりとハマってしまい、一日に何度も12年映画版の曲をAmazonミュージックで聴き続けたり、原作を読んでみたり、関連書籍を読んでみたり、他のメディアミックスにも手を出そうとしてみたり……といった状況ですので、レミゼ全体への感想が主になるかと。

 

レミゼ初見の全体感想

2日間見てみて、率直に思ったことをあれこれ。

ちなみに私の観劇時点のレミゼの知識は原作抄訳版は読んだことがある、完訳版は未履修、映画はフランス語の授業の際に途中まで見たことがあるんですがどのバージョンのものかは覚えてないです。歌わないやつってことしか覚えてない。誰かこのバージョンだよ!って分かる人いたら教えてほしい。その映画、ゴルボー屋敷の攻防のところまでしか見てないので続きが見たくて……。

 

■楽曲のパワーがすごい!

やっぱりこれに尽きます。

セリフまで全部曲に乗せて作られた、オペラ的な部分も強い作品だからこそ……という部分はあるんですが、とにかく曲を聴いているだけで感情が一緒に動かされるし、来てほしいところに来てほしい曲が来てくれる快感がすごい。

一番好きなのは「独白」から「一日の終わりに」にかけてのつなぎの部分で、あの「生まれ変わるのだ」まで一気に盛り上がってからの思いっきりバーン!と入るオーケストラの迫力、舞台に映し出される「Les Miserables」の文字、そしてそこから場面転換します!とインストだけで伝えてくれる「一日の終わりに」の前奏……この場面の快感を感じただけで、「あ、チケット代の元取ったわ……」って思っちゃいましたね。

 

楽曲の素晴らしさで言うと、リフレインの使い方と歌詞のダブルミーニングも素晴らしい。

だってさ……バルジャンの独白とジャベールの自殺のシーンで同じメロディが使われてるのなんて……みんな好きなやつでしょ?そういうの……。

二人の対になる登場人物の世界が変わる瞬間、片方にとっては生まれ変わるきっかけの瞬間で、もう片方には世界から逃れることを選ぶ瞬間……そこで同じメロディを使ってくるのはかゆいところに手が届くというか、「そうそう!それが欲しかったんだよ!」を満たされているような心地よさがある。

 

歌詞のダブルミーニングで最初におおっ!と感動したのは「下向け」のリフレインで意味が変わる箇所。最初は看守と目を合わせるな、といった意味もあり、どこかで自分たちはずっと下を見て生きていくしかないんだという諦めも感じて。一方でパリの街で出てくる「下向け」には、格差社会のフランスで「上」側にいる人たちに対して、足元にいる困窮している人々のことを見ろ、と警告するような意味合いが込められているように感じて、たった4文字の言葉なのにシンプルな言葉の中に全く違う意味を与えてくるのが上手いなぁ……と。

あと「砦の向こうに憧れの世界」の意味が民衆の時はバリケードの向こうの意味だったのがエピローグでは召された後の話になっていたので「現世に……現世に救いは無いんですか……!?」って勝手に辛くなってました。これはその時代の価値観や宗教観の違いなんでしょうけどね。でも明日を生きていくマリウスが、コゼットがその場面で手紙を読んだ後前を向いて笑っていてくれているから、悲劇的な部分の多かった物語だけれど見た後の気持ちとしてはこちらも明日に希望を持って終われる爽快感があり、悲しい気持ちのままで終わらなかったのがまた良かったです。

 

レミゼ見に行った日から作業用BGMがしばらくずっとレミゼになるくらいには楽曲の持つパワーにはまり込んでました。あ、今日「『レ・ミゼラブル』をつくった男たち」を読んだんですよ。これ、あの楽曲たちがどうやって作られてきたのか……といった部分も多く語られていて面白かった。またその話もしたいですねぇ。

 

 

■これはみんなハマるわ……ポイントが多い

レミゼにハマっている人をTwitterで観測することはこれまでも多々あったんですが、なるほどこれはハマるわけだ、と思うポイントが多かった。

まずは先ほど挙げた楽曲の良さという点。

それから複数人キャストの違いや、組み合わせが多いことによって起こる生のやり取りから伝わるものの違い。このそれぞれのパターンを見てみたい!という動機だけでも複数回見に行きたくなる理由になりうる。

そしてなにより「目が足りない!」という感覚。

特にカフェや砦のシーンにおいて顕著なのですが、あのシーンって本筋のことを話しているキャストを見たいのはもちろんなんですけど、本筋以外のところで何かアクションを起こしている学生たちが何をしているか見たくなってしまう瞬間があるんですよね。テニミュでいうベンチワークみたいなもので、本筋も見たいけどそっちも見たい!目が足りない!もっと見てみたい!って思ってしまう。

他にもレミゼにおいてユニークな「バイト制度」も目が足りない現象に寄与していて、プリンシパルの役者たちも自分が出てない場面では農民だったり囚人だったりはたまた結婚式の給仕だったりで登場していて、しかも時々トンチキな動きをしている輩もいるため(給仕のことです)2度見ただけではまだ見尽くせてない部分も多いです。目があと10個は欲しい。

なるほどね、これは何回も見に行く人がいるわけだ。納得。

 

相葉アンジョと他に気になったキャストの話

相葉アンジョの話に移ります。本題です。

と、言いたいところですが、ほとんど作品のパワーに圧倒されつづけてしまったのと、かっこいい推しを見ているとすべての感想が記憶から飛ぶ現象があり、全然言語化できる気がしないです。

1度目ではどこで推しが出てくるのか探して見てるだけで精一杯だったのですが、とにかくまず立ち姿とオーラがすごく良い。演じているのは全部同じ相葉さんだと分かってはいるんですけど、本人のふわふわ~っとした部分や可愛らしさ(?)がそのまま振る舞いにでているバイトの時とは違い、声や歌だけでなく表情、立ち姿、振る舞いの端々から精悍で強いリーダーとしてのオーラがにじみ出ている。理屈ではこの作品に出てくるアンジョルラスとバイト役たちを同じ人間が演じていることは理解しているんですけど、脳が同一人物だと認識してくれない。理屈じゃない……。

立ち姿で言うと、背中が強そうでとても良かった。それまでの場面で背中が強そうに見えるからこそ、BHHでの動揺も表情を見なくても背中を見るだけで伝わってくる。

そして声の太さと響きにびっくり。特に指示を出す時の声の太さ、あんな声聞くの初めてでびっくりした。今まで見た中でいうなら、青春アドベンチャーでアル=ディーブの声を聞いた時のびっくりに近いかもしれない。あの時も「えっ、こんな屈強な偉丈夫みたいな声でるんですか!?」って驚いたんですよね。

 

他のアンジョルラスを見ていないので比較することはできないんですが、相葉アンジョを見る限りで言うと、あのアンジョはいい意味で青二才で、見えていないものがまだ多いからただ希望を信じてキラキラ輝いていられるんじゃないかと思いました。だからものすごく危うい。希望しか見えていないから強く輝いていられるのに、その輝きに周りが魅入られついていってしまう。あの砦の敗因、相葉アンジョが「市民は来ない」という可能性を見ていなかったところにあるんじゃないか……(そりゃ考えてはいたと思うけど、そうなる未来は全く見えていなかった)と感じました。だからより悲劇的というか、若くて未熟ゆえの失敗の代償が死なんて大きすぎる……生きていたら、次はこうしようって振り返ることもできただろうに……って気持ちになりました。

そして噂のバリケード落ち、噂に聞いていた通り、体幹が強すぎてセルフスローモーションだった。あの体制でどうやって滞空時間を保っているのかよく分からない。よくわかんないけど体幹がすげぇことだけは分かる。

落ちる直前に天に向かって手を伸ばすけど、そのままあっけなく落ちていくところまでしっかり見えました。レポによると、学生たちの中には落ちていくアンジョに手を伸ばしていた人もいたみたいですね。アンジョの望みは天に届かなかったし、伸ばした手はアンジョに届かない……。

相葉さん、声にとても特徴があるから何役の時でも「相葉さんの声だな」っていうのはめちゃめちゃ認識するんですけど(いい意味です!!)一方で手足が長くすらっとした体躯も特徴的な物ながら、立ち振る舞いや雰囲気の面では驚くほど演じる役によって変えてくるよな~と思う部分があり、おそらく体をどう使うと観客からどう見えるのかを分かっているんだろうな、と思います。表情についても然り。

覚えてること全部書いてるのでちょっとまとまりがなく話があっちこっちしちゃうんですが、個人的にすごく印象的だったのはエポニーヌの死をちゃんと悲しんで悼んでくれていたこと。原作アンジョって例えばマブーフ氏の死とかがそうなんだけど、砦での犠牲を周りを鼓舞するために使う側面があるじゃないですか。でもこのアンジョが「彼女がこの砦の最初の死者だ」的なことをいう場面、私には決してそれを使って周りを鼓舞しようという風には見えなくて、一人の少女が亡くなったことを悲しんでいるように見えたので、悲しみも痛みも真正面から受けて立っているリーダー、いいなぁと。

 

(ところで急に質問なんですけど、「明日は裁きの日」って相葉アンジョ以外のアンジョも歌ってるんですか?ちょっと知りたい。)

 

アンジョ以外のキャストで特に好きだな……となったのが内藤マリウス。

内藤マリウスくんは……かわいい。抄訳版原作読んだ時マリウスのこと好きじゃなかったんですけど(普通にストーカーじゃん怖い……って思ってた)内藤マリウスくんは、そうかそうか悪気はないんだもんな……みたいな気持ちにさせられてしまう。いや、悪気がないほうがタチ悪いことは分かってるんですけどね!?

とにかく目の前のことに純粋で、まだまだ見えている世界は狭いけれど悪意がない、そして一生懸命。だからそんな彼が恋を知り、盲目になっていたことで気が付かなかったエポニーヌの思いを知って彼女を看取り、友人たちが散っていった中で一人残され、バルジャンの真実を知り……そうやって移り変わる状況に翻弄されてきた彼が、最後にコゼットの手を引いてバルジャンの元へ向かう選択をし、行動を起こしたところにマリウスの成長が見えた気がして、内藤マリウスのおかげでマリウスをもう一人の主人公としてみることができたような感覚でした。

 

以上。本当に書きたいこと書きなぐりました!の文章なのでまとまりもクソもないんですが、まとめるととにかくレミゼ楽しかったし、ここから派生して他のメディアミックスに手を出してみたり、もう一回フランス史を復習してみたり、英語歌詞との違いを見て見たり……と色々と世界を広げてみてる今すごく楽しいです。
こういった状況下ではありますが、最後まで無事上演できることを祈りつつ、このあたりで終わりたいと思います。