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現代能楽集Ⅹ 『幸福論』観劇レポ(ネタバレあり)

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見てきました。劇場に足を運ぶのはなんと1年ぶりでごわす。

見てきたのは12/5マチソワ。シアタートラムに行くのは初めてだったんですが、黒を基調に纏められた劇場の雰囲気自体が静かで厳かで、この舞台にあっていて素敵でした。入り口の装飾やら、トラムのロゴやらも良きでした(突然の語彙力喪失)

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ここからはネタバレ含め感想を書いていきます

 

 

この舞台は『道成寺』『隅田川』の二部構成です。

前半『道成寺』はある一家の悲劇の顛末を描いた物語。マチソワで二度見て気がついたのですが、舞台装置も照明も、舞台上にあるものの多くが四角で構成されていました。それが何を意味しているのかを考えてみると、やっぱり橘一家がそこから出られなかった『正解』の枠組みなのかなぁと思います。

劇中に清史郎が、外から鍵をかけてもらってその中でひたすら勉強をする『鍵勉』の話をしていて、それが最後の展開(杏に外から鍵をかけられて焼け死ぬ)に繋がる伏線になっているとは思うのですが、それとはまた別に、『外から鍵をかけられる』という行為そのものが清史郎の置かれた状況を示唆していたのではないかなと。清史郎は、そうしないとかつての電車のおもちゃのように自分の世界を奪われてしまうから、両親が求める正解の通りに生きるしかなかった。両親という自分の外から鍵をかけられ、その中で生きていた。『外から鍵をかけられ』ていたのは両親も同様で、彼らも世間体やメンツ、世間的に成功すること、その枠に縛られていた。

まあ私の妄言なので一つの解釈でしかないのですが、部屋に閉じ込められた橘一家が最終的にもっと小さな檻に収まってラストシーンを迎えているあたり、そういう解釈もありかなと。

 

相葉オタクなので清史郎についての感想を書いていくと、食卓シーンの清史郎がほとんど「うん」としか言わず、清史郎が何も言ってないのに勝手に結婚やらなんやらと話を進めていく両親の解像度の高さがいい意味で嫌でした(笑)

清史郎については、何より終盤の独白シーンが一番印象に残りました。そこまでは自分は周りとは違う成功した恵まれた人間だという自負から周りを見下していた清史郎が、あのシーンではまるで幼児のように見えてしまって。ソワレの時に気づいたんですが、「僕が医者になったら嬉しい?」と聞く清史郎に両親が嬉しいと言うと、その瞬間だけ清史郎が薄く笑ってたんです。相葉オタ私の幻覚じゃなければですけど。清史郎は、そうやって両親の『正解』を見つけることで自分の存在を確かめたかったんだな。その『正解』から外れたら、清史郎の世界は否定されてしまうんだもんな。

それから、杏の件を隠蔽しようとする両親と隅で震える清史郎、ここは本当に救いようのなさを感じました。それでも両親が選んだのは世間体で保身で、本当の意味で清史郎を守ってからはしなかったんですから。つ、つら……。

 

道成寺』誰に共感するかはその人の置かれている状況に依ると思うんですが、私は清史郎でした。多かれ少なかれ、「自分が選んだ道は、本当に自分で選んだのか」と思うことはあるし、そういう人の多い場所で生きてきたので。テストでいい点を取った時に嬉しかったのは自分なのか周りなのか、その道に進みたかったのは自分なのか、分からなくなる時ってやっぱりあるんですよね。だから杏みたいな子には憧れるけど、一方でそれが絶対の正解だとも思わない。夢を追うことも、追わずに生きることも間違いではないと思うんです。だから、それでも努力して生きてきた清史郎に「生きてて楽しい?」と投げかけられるのは本当に辛い。杏も杏で、もしかしたら自分の幸せを追う自分を肯定するために清史郎を否定したかったのかもしれない。そういう意味では正しい杏と間違った清史郎ではなく、どちらも自分が幸せだと思いたかったという意味ではお互い様なのかも。

 

 

後半、『隅田川』は前半の救いようのなさと比べたら救いのあるエンディングを迎えましたが、彩佳の行末を考えるとやっぱり辛いものがある。「病院で死産なら労われるのに、一人で産んだら殺人罪」というセリフが痛切でやりきれなかった。彩佳はただ、言える相手がいなかっただけなのにね。

道成寺』が四角で構成されていたのと対象に、『隅田川』は丸。テーブルや座椅子、それから最後に雨を降らせる円環。青い照明で照らされた時には水の泡のようにも見えました。全体を通してかなりシンプルな舞台装置から色々考えさせられるものがあるのは面白いですね。それから、やっぱりラストシーンの演出はめちゃめちゃ綺麗だった。あの雨が降る円環幻想的でいいですね……。

どちらの編でもそうなんですが、人間の嫌な部分の解像度がやたら高い。全部がいい人もいなけりゃ全部が悪い人もいない。彩佳の転落の原因となったのはハヤシとの一件だけど、募集をしたのは彩佳の方で、ハヤシは彩佳に安らぎの時間を与えてもいた。翠ちゃんはぼけてる悦子さんを言いくるめてお金を貰おうとしていたけれど、悦子さんの面倒を見ていたのは事実。夏帆は自己肯定の道具に子供達を利用していたのかもしれないけれど、彩佳に救いを与えたのは彩佳に業務以上の深入りをした夏帆だった。彩佳自身もただ「可哀想な子供」だったわけではなく、原因を作ったのは募集をかけた彩佳の方なわけで。

このあと彩佳は嬰児殺しの罪に問われる未来が待ち受けているわけだけれど、その未来は変わらなくても、「まだ子供でいたかっただろうに」と抱きしめてくれた人が居て、そこに引き合わせてくれた人が居る事実だけで変わることもあるんだろうなぁ。

 

相葉さんについては、隅田川の方はそんなに語ることもないんですが、やけに体のでかいホームレスがいるなぁと思ったら相葉さんでした。最後の挨拶の時ホームレスの衣装のまま出てくるのちょっと面白かった。あと平泉成

ハヤシはまぁ未成年を孕ませたクズ男ではあるんですが、それはそれとしてハヤシは可愛いんですよね。うりゅうりゅわしゃわしゃするところとか。……まぁ未成年を孕ませてお咎めなしのクズ男なんだけど。

 

というわけで、全体を通して暗くて心にずっしりくる劇でしたが、二度見ることで新たな発見もできて楽しかったです。心が苦しくなる舞台だったので今度は明るいのが見たいな……と思ってよく考えてみたら、次は新テニミュじゃないですか。問答無用のハッピーエンドだし人も死なないぞ!!やったね!!

めちゃめちゃ個人的なことを言うと、私自身演劇部員だった高校生の頃は小劇場演劇にどっぷりだったので(地元の演劇部の顧問、だいたい小劇場関係者だったので)久々の小劇場はとても楽しかったです。暗転すると蓄光テープが見えるのとか、いいよね。

テニミュ凱旋は2月、公演自体は来週から始まりますが、無事に開幕できることを本当に!本っっっ当に!!心から祈ってます。では。

 

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おまけ 観劇後の私の雑メモに突如現れた俳句